石に布団は着せられぬ

親の晩年にどう向き合うか、という問題がリアリティを増してきたので、これから先に起こる出来事、感じた事を細大漏らさず記述しておこうと思います。

二度目のドタキャン

  7:54  まだベッドの中だけど携帯が震えている。発信者は母。

「なんだか風邪ひいたので今日はキャンセルさせてくれるかな。」約束の日の朝にあちらから連絡が来る時点で嫌な予感だが、出だしの言葉を聞いた時点で半分寝ぼけた頭が目覚めたような、一方で「またかよ、勘弁してくれ。」という軽いめまいがセットで襲ってきて、言葉の最後はよく覚えていない。「お大事に」も言えたかどうか。そんな感じで電話を切った。

 妻に向かいの部屋で子どもと寝ている妻に「今回もドタキャンになってしまった。ごめんね。」と言いに行くまでちょっと時間がかかったと思う。

 

 しばらく仕事もプライベートも忙しかったけれども時間をやりくりして、年内に一度は母と会っておくか、という事でお昼ご飯を食べつつ、久しぶりに孫の顔でも見てもらおう、と約束をしたのが一週間前の事。

 妻と相談して、母の最寄り駅のレストランにする事も考えたけれど、結局は横浜ベイシェラトンの中国料理「彩龍」を予約し、行きがけに母をピックアップするスケジュールを組んだ。

 この「彩龍」を選んだのには理由がある。
 前回 (今年の夏) 、同じような用向きでみんなで会う約束をしたのだが、母から当日キャンセルされたからだ。その時は前日に台風が関東を直撃した事もあって、確かに荒天だった。電話で「明日は天気次第でキャンセルかもね」という会話はしていたが、当日は台風一過の晴天だったので予定通り実施のつもりが、「天気も怪しいし」という誰の予言ですか、という理由でキャンセルになってしまった。

 時間を確保して、店も手配してくれた妻に申し訳ないので、家族3人の予約に変更して中華料理を満喫した訳だが、何となく仕切り直しの意味で選んだという理由。

 もう一つの理由は、母の最寄り駅のレストランというオプションを検討した時に、「何となくドタキャンされる予感がするので、最悪そうなった場合に家族だけでも何か出来る場所にしておこう」という保険をかけるような意識が働いたこと。

 もちろん、「彩龍」のお料理がおいしい事、店の雰囲気、車でのアクセス、混み過ぎていない事など総合的にバランスが良いので、機会を作ってまた行きたいと思っている店なので、店に悪いなというのもあるが、とにかく妻にごめんなさい。

 

 ドタキャンしておいて毒づいていやしないだろうか、などと穿っていたらば午後にまた電話が。曰く、「あたし何か連絡する予定になってなかっただろうか」と。これはここ数年の彼女が電話をしてきたときに良く言うセリフ。

 いわゆる物忘れ的なものかと思う。
 だが、ここ10年くらいの間に幾度も、さっきまでにこやかだったのが私と二人きりになると態度が豹変するような事があったので、そのダブルスタンダード的な素行に振りなれてしまっている為、最近は言ってる事が本気か芝居かよくわからない場合はあまり真に受けない、という態度を取ることにしている。

 なので、今日の二度目のコールも抑制的に「今日はランチの約束だったけど、体調が悪いからという事で、朝、そっちからキャンセルの電話してきたでしょ」と返すのみ。それを聞いて、「あー電話してたか」と自分の記憶の曖昧さを確認した上で「調子悪くてさ。」と切り出すのがパターン。
 いつもと違ったのはその後、「キャンセルしてごめんなさい」と自分から言った事。これで、どうやら本当に調子悪いのかも、と少し思った。「色々とボケてきている自覚があるので、病院行くべきかとか、相談に乗ってほしい」とも続けてきた。いつもよりは殊勝な感じがするけれど、一年ちょっと前に近所の脳ドックとか探してパンフレットと手紙を送って電話で診断を薦めたらヒステリー起こして電話を切られた事を覚えているので、「今頃かいな」という気もしつつ、年明け早々には行った方がいいかもな、という気持ちにはなった。

 色々と腹立たしい事が多いけれども、とりあえず孤独である事は間違いないので、一月の早いうちにまた時間を工面して俺だけで行くか、とか考える。

 そんなこんなの夕方に、今度は83歳の伯母から電話がかかってきた。

 長くなってきたので続きは次の投稿で。

はじめに

 こんにちは。

 こんな辺境の地みたいなブログへようこそ。

 

私について

 元々、自分の生業であるマーケティングの視点で、日々浮かんでは消えてしまいそうな思いつきを文章で残したり、働き方について考えたりしている「軽めの仕上がり」というブログをやっているのですが、最近はちょっと「軽くない」話も身の回りで起き始めているので、ブログを分けて書いてみることにしました。

 

 2016年12月現在で私は45歳。妻と娘に恵まれて楽しく家庭生活を送れている反面、離れて暮らす親の老後のケアが、相対的に重たい現実として横たわっています。

 私の父は9歳の時から海外(ブラジル)に単身赴任しており、年に一度、年末年始に一週間ほど帰国した時に逢うだけ、という生活でした。

 今から35年くらい前、インターネットなんてものはまだ姿も無い時代の話です。KDDの国際電話は日米で平日3分1500円みたいな料金*1 がまかり通っていころですので、たまのコレクトコールも料金を気にしつつ、しばらくは「もしもし」の掛け合い。三拍ぐらい待ってから相手の声が届くというテンポに慣れた頃には終話するような感じでしたので、必然的にコミュニケーションは手紙が中心になります。届くまでおおよそ10日から二週間程度だったと思いますが、学校帰りにポストを覗いて絵葉書やエアメールを見つけたときの嬉しさは今でも鮮明に覚えています。そういう「つながる喜び」が自分の原体験にあって、デジタルコミュニケーションを前提にして企業と顧客のインタラクションやエンゲージメントに取り組んでいるのが何ともいえない因果を感じます。

なんでこういうテーマで?

 父は私が中学三年生になる春休み、つまり15歳の春に、赴任先での事故が原因で他界しています。

 享年45。正確な原因は不明ですが、今の自分と同い年ですので、仕事や家族の事を自らに置き換えてみると、その悔しは察するに余りあります。

 そういう経緯がある為、いわゆる母子家庭育ちです。4歳上の姉と母親という二人の女性に囲まれて、多感(恥)な 10代から20代前半を過ごしました。この家庭環境が年を重ねるにつれて、人生の要所で長短両面で影響してくるのですが、それはこのブログの主題とは異なるので蔵にしまっておくつもりです。今後の記述の中で触れることが出てくればその時にでも。

 母は現在、75歳 (なはず) 、かつては父親の役目も引き受けながらの子育てで、育て上げたら50半ば、といった感じだったと思います。まがりなりにも大学まで出してもらっている私は基本感謝です。家族同士故に生まれる甘えや、老化や彼女自身の生来の気質による我がままやヒステリーについては嫌な記憶もたくさんありますし、引き継ぎたくない資質でもありますが、産み育ててくれた事に対してはただ感謝、という感覚です。そういうアンビバレンツみたいなものを内包しつつ、せめて「親の恩は子で送る」を体現していく為にも、この先の何年かを記述していく事で、自分の気持ちから逃げずにいたいと思うのです。

 年齢的に会社勤めのビジネスパーソンとしては何らか仕上げの姿を具体的に描いて、そこに向けてまい進していく頃合いです。更に、その先のステージはどうやって社会に関与していくか、何をこれからの世代に還元し、そこから新しい何かを学び、家族を養い、自分の夢をひとつでも多く形に出来るか、といった自分の人生の後半戦の課題が山盛りで見えていて、その為の大事な舵取り、時間配分、資本作りに時間がいくらあっても足りないような忙しさと焦りみたいなものに突き動かされている訳です。

 そんなときに、グイッとのど元に突き刺さってくるのがこのブログの主題である「親の晩年とどう向き合うか」という課題です。

 世の中にはもっと過酷な環境で、そうした課題と向き合いながらひたむきに生きてらっしゃる方がたくさんいらっしゃるであろう事は十分に認識した上で、おそらく平均的な日本人の範疇に入るであろう自分の中に産まれる考え、迷い、ジレンマなどをなるべく簡潔に、記述的に綴っていく事で、これからも色々と思い悩むだろう自分の座標軸を確保しておきたいのと、やがて自らが晩年にさしかかった時に、我が子がこれを一つのリファレンスとして目を通してくれたら「どうやって私を転がせば負担が少ないか」というヒントになるかもしれない、という思いです。